お好み焼きの歴史と未来お好み焼きの語り部

お好み焼きを国民食とした先駆者の方々に伺う。 お好み焼の語り部 広島県内各地のお好み焼店をまわり、歴史を辿る

【第18回】お好み焼 仔ぐま
中川健さん│昭和45年(1970年)創業

取材日:2017年06月22日

安心して、美味しく食べていただける、アレルゲン不使用やグルテンフリーのお好み焼。

外国の方は、グルテンによって引き起こされる自己免疫疾患の方が多くおられますので、インターネットでご覧になって来られます。グルテンフリーのお好み焼を提供していますので、安心して美味しく食べていただけます。7大アレルゲン不使用のお好み焼も用意していて、広島では私の店だけだと思います。オンラインショップに載せているだけですが、フェイスブックやブログで探されるんですね。食事で困っておられる方のためにも、このお好み焼に力を入れていきたいと思っています。多様性を受け入れて、幅広く多くの方にお好み焼を食べていただきたいですからね。


昭和45年、母がお好み焼を始めた。
父は会社に勤めていましたが、母も何か始めたいという気持ちはあったようで、昭和45年(1970年)にこの場所でお好み焼を始めました。お好み焼でなくてはいけないということはなかったと思います。そのころ郊外のお好み焼のほとんどは女性が経営されていましたので、主婦が自立するためにはいい手段だったのでしょうね。父は定年後、店を手伝っていました。1階を店にして、2階に住んで都合もよかったんだと思います。店名は、母の旧姓『熊本』にちなんだものです。今、母は店には出ていません。

     


大学で事業をし、和菓子屋、そしてお好み焼へ。

大学時代、在学中でありながら事業を始めていました。しかし、自分の人生で一度は勤めを経験しておきたいと思い、30歳の時に広島へ帰って和菓子屋に就職し営業をしていました。平成11年、西区にあるお得意先のアルパーク天満屋さんからお好み焼の相談を受けましてね。実家がお好み焼店だという話をしたところ、『あなたが食品売り場にお好み焼を卸すならば』と言われ、すぐ信用されたことに驚きました。37歳の時です。

機会は逃してはいけない。

せっかくいただいた機会は、『扉が開かれた時には断ってはいけない』ですからね。それを機に和菓子屋を辞め、今のお好み焼の店に入りました。母が作ったお好み焼を一日に50~60枚持って行っていました。それから三越、阪急、高島屋など県外の百貨店から販売依頼をいただきましたので、食品の冷凍・冷蔵業の営業許可を取って対応しています。ですから全国どこででも、仔ぐまのお好み焼は注文いただけます。

母のお好み焼を見て、自分で工夫をした。

お好み焼の焼き方を教えてもらえず、ただ『自分がいいと思うものを出しなさい』というのが母からの教えでした。お菓子の世界も一緒だと思いました。家内制手工業独特の教え方ですよね。母のお好み焼を見ながら自分が納得したお好み焼を作っていったんです。

郊外のお店がやめられていくのは寂しい。

最近は若い方も多く開店されていますが、郊外のお店は少しづつやめられています。戦後間もなく開業した女性が、一代で終わらせることなく、引き続き店を継いでいくことが出来るようにならないものですかね。昔からあるお店が無くなっていくことは寂しいです。


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