お好み焼きの歴史と未来お好み焼きの語り部

お好み焼きを国民食とした先駆者の方々に伺う。 お好み焼の語り部 広島県内各地のお好み焼店をまわり、歴史を辿る

【第8回】みちぐさ
植上京子さん│昭和39年(1964年)創業

取材日:2016年06月17日
内職程度のつもりでお好み焼を始めた。

主人は勤め人で、私は専業主婦でした。当時、この場所で木工屋をやられた方が止められたのを知って、内職程度の感じでお好み焼をしてみようかなと思ったんです。自宅の近所でしたし、お好み焼が好きだったからという理由だけでした。家でもお好み焼をよくしていましたから。東京オリンピックのすぐ後だから、昭和39年の秋ですね。ですから今年で創業52年、思えば約半世紀になります。主人の姉が呉で文房具屋をやっており、その近くで繁盛している「みちぐさ」という店があって、店名はその店にあやかってつけました。店を始めるときは、この名前と開店前から決めていましたから。時代がよかったのか、開店早々からお客さんは結構来てくれました。お好み焼は初めからこの混ぜたタイプです。福山にはお好み焼屋は多かったですよ。しかし当時のお好み焼屋さんは、今はほとんどやめられています。



お好み焼以外はお客さんのマイメニュー。飲み物は自分で持ってきてもらいます。

最近は、ハンバーガーなど安い食べ物も出来たせいか、お客さんが少なくなったような気がします。昔はお好み焼かたこ焼しかなかったですからねぇ。ですからお客さんは、いつものお得意さんばかり。昨日もすべておなじみのお客さんでした。ですからこのお好み焼に馴染んでもらって、この前も北海道に行かれている息子さんに、このお好み焼を冷凍して送られると持って帰られました。メニューは、お好み焼以外は、焼うどんと焼そば、焼き飯ですが、その他はお客さんのマイメニューです。野菜炒め等お客さんの注文で何でもやります。メニューに焼き飯があるので、ご飯が余った時は困りますが。肉は、開店当初より牛肉です。豚肉の場合、火が通らなかったらと心配で。焼いていても牛肉は香りがいいですね。ソースは評判がいいので辛口を基本にしています。
 飲み物は冷蔵庫が狭くなるのでおいていない。水だけです。お酒が飲みたければ、自分で買ってきて、飲んでもらうのは構いません。お茶が欲しい人は買ってきてもらいます。持ち込み可です。




お父さんと二人三脚。お父さんが勤めてくれたから今までやってこられた。

子どもは男の子一人で、店を開いたときは小学校の低学年でした。今となっては苦労とは思いませんが、店と子供の面倒はやはり大変だったんでしょうねぇ、参観日には店を休んで学校に行っていましたから。その息子も大阪の大学に行き、そのまま今も大阪にいます。息子がお好み焼を手伝うことは一度もなかったですね。お金を使うことはよく手伝ってくれましたが。孫も3人大阪にいます。現在、定年退職後10年勤めてそれからはうちにいるお父さんと二人です。3歳年上のお父さんが勤めてくれていたから続けることができたんですよ。朝、私が仕入れに買い物をしているその間にお父さんが鉄板に火を入れてくれます。帰ってきてすぐお好み焼が焼けるように。お父さんの仕事は、火を入れることと、鉄板を磨くこと。だから鉄板はいつもピカピカ。喧嘩しいしい二人三脚です。最近一度、心臓が苦しくなってカテーテル検査で半月ほど休んだことがありましたが、今のところお好み焼を焼いていてしんどいということはありません。身体が動く限り、続けるつもりです。お客さんが冗談で、「あと10年頑張ってもらわなければならん」と言われますが、95歳ですからねぇ。お父さんが鉄板も磨かれんようになった時が廃業ですかね・・・
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