昭和30年代の思い出エッセイ募集
入選作品紹介
貧しかった頃のお好み焼き
古田 ミホコ(広島県)
 昭和25年生まれの私。4~5歳ころの思い出です。
農家の嫁であった母は暮らしの足しにと隣の町まで荷車をひいて、野菜を売りに行っていました。私は大抵、祖母と家で留守番をし、母の帰りを待つのが常でした。
 ある日、どういうわけか私は荷車の隅に乗せてもらって母の野菜売りに連れて行ってもらいました。お得意さんを回りあらかた野菜を売り終えた母は、近くにあったお好み焼き屋に入り、お好み焼きを一枚焼いてもらい新聞紙にグルグルッと包んでもらい、帰途に。
 お昼前だったので、おなかが空いていたのでしょうが、普段は途中で食事など考えもせずという感じで我が家へと帰ってきた母です。小さな私に何か食べさせたいと考えたのでしょう。母は「この道をのぼって峠についたら食べよう」と言い、汗だくで荷車を引きました。私の膝には温かいお好み焼きが、いい匂いをさせていました。当時はビニール袋などはなくて、経木にお好み焼きを入れ古新聞で巻いて渡されただけのもの。新聞を通してソースの香ばしい匂いが立ち上りどれだけ食べたいと思ったことか。その内に経木からソースがこぼれ、新聞にしみてきて手を湿っぽくさせてきました。
 やっと峠に到着、新聞を開きお好み焼きを食べました。今のお好み焼きと違い、もやしとキャベツばかりのような粗末なものでしたが、私にとっては凄いご馳走でした。とても豊かな味がしたように思われ、現在、どれほど豪華なお好み焼きを食べてもあの味にはかなわないと感じます。
一覧
お好み焼きが紡いだ絆館 高司(埼玉県)
祖母のお好み焼き原山 摩耶(徳島県)
オリンピックのお好み焼井山 孝治(広島県)
お好み焼き 嫌いなのか?會澤 公平(広島県)
家庭の味、お店の味。心に刻まれた幸せな風景。峯 綾美(広島県)
おばあちゃんのてっぱんお好み焼きM.N(兵庫県)
貧しかった頃のお好み焼き古田 ミホコ(広島県)
はじめて食べたお好み焼きの思い出呉の秀ちゃん(広島県)
「8マン危機一髪!」井尻 哲(広島県)
父ちゃんの「いえおこ」亀井 貴司(広島県)
「カタカタ」と生玉子の音色(ねいろ)世良 元昭(広島県)
右手の卵大信 容子(広島県)
私とお好み焼き皆川みどり(広島市)
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