昭和30年代の思い出エッセイ募集
入選作品紹介
お好み焼き 嫌いなのか?
會澤 公平(広島県)
父とお好み焼きを食べた記憶はたったの1度だけ。瓶ビールを飲みながら黙々と食べる父の姿。特に会話もなくカウンターに並び二人で食べた。無口な父が最後に「美味いのぉ」と一言。それがビールの事なのか、お好み焼きの事なのかは今となっては分からない。

母に「父さんとはお好み焼きとか食べに行っとらんの?」と聞くと、「よぉ食べに行っとったよ。屋台とか、5人も入れば満席のお好み焼き屋さんとか」と意外な答え。「そばもイカ天も何にも入っとりゃせんが、よう食べて、よう飲んどった」と。「ただ、あんたが病気になってからは行っとらんねぇ」と顔を曇らせた。

父が被爆者なのを知ったのは中学生1年生の時。夏休みの自由研究で原爆投下当時のことを調べているときの事。母から「父さんは被爆者なんよ」。あんたは「被爆2世じゃ」と聞かされた。

父の口からは一度も戦争体験も原爆の日のことも聞いたことはない。父にとっては辛く悲しく絶望の日の記憶を固く封印していたのだろう。そして「被爆者」のレッテルは貼られたくなかったのかも知れない。

私は小学3年生の時に「紫斑病」を患った。私には「紫斑病」がどんな病気かはわからなかったが、大きな病院を連れまわされた事と、「病気の事は人に言うな」と釘を刺された事だけ記憶に残っている。
父との死別後のある日、母から私が紫斑病にかかった時は、父はかなり焦燥していたことや、眠っている私に「すまん、すまん・・」と繰り返し謝っていたことを聞いた。

父が他界して15年。たまには母を誘って、そばもうどんも、イカ天も入っていないお好み焼きを食べに行こうかな。強く怖く豪快な父の姿を思い浮かべながら「美味いのぉ」と一言つぶやこう。
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