昭和30年代の思い出エッセイ募集
入選作品紹介
「カタカタ」と生玉子の音色(ねいろ)
世良 元昭(広島県)
 小学生の低学年の頃。ばあちゃん、お好み焼きが食べたいと言うと、こうて来んさいと、お金とお皿の上に生卵を1個置いて、カゴの中に入れて歩いていると、皿の上で躍る玉子の「カタカタ」と心地よい音色が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
 店に着くと「おばちゃん」玉子持って来たけん、入れてくださいと言うと、嫌な顔ひとつせず、「ええよ」と言ってくれる。持ち込み料も取らず今では、考えられない人情味のある近所のお好み焼き屋である。
 注文は、お好みの野菜入りの肉である。
持って来た玉子を入れてもらう。そばは、子供の私には、多すぎて入れなかった。
 おばちゃんの一生懸命焼く姿をずっと直視して見いっていると、「はずかしいけえん」あまり見ないでと言われたのを覚えている。
 出来上がると皿の上にのせた、お好み焼きにたっぷりの「オタフクソース」を少し青のりが付いた大きな刷毛で塗り、青のりをふったその上に緑色の油紙(あぶらがみ)の様な紙をのせて、その上に中国新聞紙で皿を包み込む。
 持って帰って開けるとお好みのソースの上に少し残った新聞紙を手で取り除くのが、いやで気持ち悪かったのを懐かしく思う。
 当時は、今みたいに、サランラップなどは無い時代であった。
 家から皿を持っていき、玉子代をうかせ、栄養価の高い庶民的な食物(たべもの)で、なくてはならない近所のお好み焼き屋。
 当時は、今と異がってお客さんの家族構成から肉親の仕事まで知っていて子供の成長を見届け、家族ぐるみの付き合いでした。
一覧
お好み焼きが紡いだ絆館 高司(埼玉県)
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お好み焼き 嫌いなのか?會澤 公平(広島県)
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貧しかった頃のお好み焼き古田 ミホコ(広島県)
はじめて食べたお好み焼きの思い出呉の秀ちゃん(広島県)
「8マン危機一髪!」井尻 哲(広島県)
父ちゃんの「いえおこ」亀井 貴司(広島県)
「カタカタ」と生玉子の音色(ねいろ)世良 元昭(広島県)
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私とお好み焼き皆川みどり(広島市)
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